マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“広い思考”が苦手――そう悪いことばかりでもないのでは?

 ――日本人は戦争に向いていない。

 という話を――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その理由として、

 ――日本人は“広い思考”が苦手であるから――

 とも述べました。

 

 このことを――

 僕は――

 そんなに否定的にはとらえていません。

 

 (場合によっては肯定的にとらえることもできる)

 と思っています。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 このところ、ずっと、

 ――本質的思考(批判的思考)

 ――創造的思考(逸脱的思考)

 ――改善的思考(拘泥的思考)

 ――確認的思考(懐疑的思考)

 の話をしていて――

 きのう、突然、

 ――戦争

 の話になったのは――

 

 やはり――

 今が8月だからでしょう。

 

 毎年8月に――

 この国では、

 ――戦争

 が目立った話題となります。

 

 それは、もちろん――

 75年前の8月に――

 この国の当時の政権が、太平洋戦争(大東亜戦争)の敗北を認め、戦争継続を正式に諦めたことが、一番の理由でしょう。

 

 が――

 この理由は――

 よく考えたら不思議なことです。

 

 少なくとも―― 

 この国の今の人々にとって、

 ――戦争

 の概念は、どういうわけか、

 ――終戦

 や、

 ――敗北

 と関連づけられているのです。

 

 かの戦争を――

 この国の当時の政権が始めたのは、79年前の12月でした。

 

 よって――

 毎年12月に、

 ――戦争

 が話題になってもよさそうなものですが――

 そういうことは、ほとんどありません。

 

 ――戦争

 の概念が、

 ――開戦

 や、

 ――勝利

 と関連づけられることが、まず、ないのです。

 

 ――日本人は“広い思考”が苦手である。

 との命題は――

 実は――

 このことにも深く関わっているのではないか、と――

 僕は考えています。

 

 毎年8月になると――

 この国のメディアでは、

 ――戦争

 の概念の大半が、

  戦争 = 終戦(敗北)

 の図式で語られます。

 

 そして―― 

 そのことに特に嫌悪感を示さないのが、日本人の多数派です。

 

 こうした日本人の特徴は、

 ――日本人が“広い思考”が苦手である。

 ということに起因をしている、と――

 僕は考えています。

 

 そして――

 それゆえにこそ、日本は、直近の75年間において、ただの一度も戦争をしかけることがなかったのではないか、と――

 

 つまり、

  戦争 = 終戦(敗北)

 の図式が強烈なブレーキとなって――

 ただの一度も戦争をしかけることがなかったのではないか、と――

 

 ……

 

 ……

 

 日本は――

 そう遠くない過去の一時期において、近隣諸国に対し、軍事的に多大な迷惑をかけました。

 

 そのことは否定のしようがない史実である、と――

 僕は考えていますが――

 

 その後の75年間において、日本が、近隣諸国に対し、同様の迷惑を一切かけずにいることもまた、史実です。

 

 すなわち、

 ――日本人は“広い思考”が苦手であるので、戦争には向いていないが、“狭い思考”は得意であるので、平和には向いている。

  ということではないか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――日本人は“広い思考”が苦手である。

 といっても――

 そう悪いことばかりでもないのではないか――

 

 そんな気がするのです。