マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“権威と権力との緩やかな統合”に成功をした政権――中大兄皇子の政権

 明治維新の担い手たちは、西欧列強の外交圧力という危機に対し、

 ――権威と権力との癒合

 という過ちを犯した――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 日本史の理を考えたなら、

 ――権威と権力との緩やかな統合

 を試みるのがよかった、と――

 

  ……

 

 ……

 

 実は――

 この“緩やかな統合”を――

 明治維新の1200年ほど前に果たしていた政権があります。

 

 ――大化の改新

 で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の政権です。

 

 ……

 

 ……

 

 天皇の第二皇子として生まれた中大兄皇子は――

 政治の実権を有力な豪族――蘇我(そが)氏――に奪われていた現状を憂いつつ、当時、中国大陸で興った強力な皇朝・唐が、朝鮮半島を介し、日本列島に外交圧力をかけてきていたことに危機感を覚え、その危機に対し、天皇の権威の下、一致団結をして立ち向かうために――

 その政治の実権を握っていた有力な豪族の当主――蘇我入鹿(そがのいるか)――を宮廷に呼び寄せ、欺き殺すというクーデターを試みました。

 

 いわゆる乙巳(いっし)の変です。

 

 その後、政治の実権を握った中大兄皇子は――

 自ら天皇の位に就くことができたにもかかわらず――

 それを拒み、皇太子として政権の実務を司る道を選びます。

 

 中大兄皇子がクーデター後に即位をしなかったのは、

 ――天皇の位が欲しくてクーデターを起こした。

 と誹られるのを恐れたためと考えられます。

 

 もちろん――

 中大兄皇子がクーデターを起こしたのは――

 それまでに蘇我氏が確立をしつつあった、

 ――権威と権力との分離

 を正すためでしたが――

 その“分離”の負の側面だけでなく、正の側面も含めて――

 中大兄皇子は、きちんとわかっていたのでしょう。

 

 クーデターによって権力を握り、その上、権威まで手に入れようとすれば、どうしても風当たりは強くなります。

 その愚を犯さなかったのです。

 

 が――

 権力は、しっかりと握りました。

 

 それも、クーデターの盟友らと分け合うことなく、一人で握りました。

 その後の軍事・外交・政治の一切を引き受けたのです。

 

 そして――

 後世、

 ――大化の改新

 と呼ばれる抜本的な政治改革に邁進をしていきます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――大化の改新

 は、

 ――明治維新

 に似ています。

 

 どちらもクーデターで始まりました。

 どちらも海外からの外交圧力が背景にありました。

 

 他方――

 あきらかに違うところもあります。

 

 それは、

 ――明治維新

 では、

 ――権威と権力との癒合

 が起こり、

 ――大化の改新

 では、

 ――権威と権力との緩やかな統合

 が起こった――

 という点です。

 

 中大兄皇子は、権力を握った自分が権威まで手に入れると、政権が長続きしないことを肌で感じ取っていたのではないでしょうか。

 

 つまり、

 ――日本史の理(り)

 を無意識に弁えていたのではないか――

 ということです。