マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府が十分には理解をしていなかったかもしれない歴史的経緯

 ――明治政府は軍人に選挙権を与えなかったために、結果として、軍人による政治への不当な介入を許した。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 なぜ明治政府は軍人に選挙権を与えなかったのか――

 

 ……

 

 ……

 

 これが――

 よくわからないのですね。

 

 色々と調べてみたのですが――

 たんに、

 ――軍人による政治への介入を防ぐ。

 という以上の目的は――

 どうやら、なかったようなのです。

 

 つまり、

 ――軍事は外交の一部にすぎず、外交は政治の一部にすぎないのであるから、軍事が政治に優越をすることはあってはならない。

 との前提から――

 素朴に、

 ――軍人が政治に関わることは許さない。

 つまり、

 ――軍人には選挙権を与えない。

 との結論に至ったようなのです。

 

 以上は僕の素人考えで――

 たぶん、どこかで間違っていると思うのですが――

 

 仮に――

 この考えの通りだとしたら――

 

 明治政府の首脳部は、

 ――軍事は外交の一部であり、外交は政治の一部である。

 との社会的原理は十分に理解をしていたけれども、

 ――軍事を握った者が(外交を含む)政治を行ってきた。

 との歴史的経緯は十分には理解をしていなかった――

 ということになります。

 

 事の真偽は――

 僕には判断をしかねます。

 

 が――

 明治政府の首脳部が、

 ――軍事を握った者が政治を行ってきた。

 との歴史的経緯を軽くみたか、なかったことにしたか――

 ということについては、

 (おおいにありうる)

 と、僕には感じられます。

 

 1月1日の『道草日記』で述べた通り――

 大政奉還の頃――

 明治政府は、クーデターを起こして政権を握りました。

 

 この時点で――

 徳川幕府の最後の将軍・徳川慶喜は、まだ強大な“軍事の裁量権”を握っていました。

 

 少なくとも、徳川慶喜が、その気になれば――

 徳川幕府が成立をした際と同じような、

 ――天下分け目の大戦(おおいくさ)

 に持ち込まれる可能性がありました。

 

 その可能性を――

 徳川慶喜は、“軍事の裁量権”を潔く手放すことで、即座に摘み取り――

 明治政府の成立を間接的に大いに助けたのです。

 

 ――明治維新の最大の功労者は徳川慶喜である。

 と、ときに皮肉交じりにいわれるのは――

 そのためです。

 

 大政奉還の頃、徳川慶喜は、まだ軍事を握っていた――

 したがって、これまでの歴史的経緯を踏まえたら、引き続き徳川慶喜が政治を握るのが当然であった――

 が、いわゆる“維新の志士”たちがクーデターを起こし、政権を掠め取った――

 その暴挙を、徳川慶喜は許した――自分自身の利害や徳川幕府の利害ではなく、日本列島に住まう人々の利害を総体的に考え、許した――

 

 このような明治政府・創成の実態に光が当たることを――

 明治政府の首脳部たちが恐れた可能性は十分にあるでしょう。

 

 この実態に光が当たれば――

 徳川幕府徳川慶喜の権威が回復をすることはあっても、明治政府や明治天皇の権威が増強をすることはありえなかったからです。