マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中大兄皇子が天皇の位に就いた理由

 ――大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、クーデターを起こした責任感から、あえて権力を一手に引き受けた、と考えられる。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そんな中大兄皇子も――

 クーデターを起こしてから20年余り後になって――

 ついに天皇の位に就いています。

 

 天智(てんぢ)天皇です。

 

 つまり――

 中大兄皇子の政権においても、最終的には、

 ――権威と権力との癒合

 が起こっているのですね。

 

 ――権威と権力との緩やかな統合

 に専念をしていたようなのに――

 なぜ、最終的には天皇の位に就いてしまったのか――

 

 これは、

 ――結局は天皇になりたかったからクーデターを起こしたのではないか。

 と誹られても仕方のないところで――

 もちろん――

 そんなことは中大兄皇子にも十分にわかっていたでしょう。

 

 にもかかわらず――

 中大兄皇子天皇の位に就いた――なぜなのか――

 

 日本史の謎の1つとされています。

 

 この謎については――

 日本史研究者らから様々な仮説が示されているようです。

 

 ――天皇家の血筋の観点で、中大兄皇子より正統な天皇候補が他にいたから――

 とか、

 ――同母妹と男女の仲にあったらしいことが当時、問題視をされていたから――

 とか、

 ――中大兄皇子が廷臣たちに不信がられ、信頼を得るのに歳月を要したから――

 とか――

 

 史料を忠実にあたると――

 そのような仮説に辿り着くのでしょう。

 

 僕は、

 ――白村江(はくすきのえ)の戦い

 に敗れたから――

 と感じます。

 

 ――白村江の戦い

 については――

 2019年9月16日の『道草日記』で、やや詳しく述べました。

 

 朝鮮半島で起こった戦いです。

 中国大陸で新たに起こった皇朝・唐の外交圧力に対し、中大兄皇子の政権は、おそらくは先手を打とうとして失敗をし、むしろ、危機的な状況を強めてしまいました。

 その後、中大兄皇子は、有名な防人(さきもり)の制度を整えるなど、日本列島本土の防衛に忙殺をされていきます。

 

 その危機的な状況に備えるには、

 ――権威と権力との緩やかな統合

 に拘っているわけにはいかなくなった――

 それで、天皇の位に就くことにした――

 

 史料の裏付けは全くないようですが――

 そのように、僕は考えています。