――親は自分の夢(ゆめ)を子どもに、あずけたりはしない。
と、ぼくが考えるのは、
――親が自分の夢を子どもにあずけても、その夢がかなうことは、まずない。
と考えるからである――
と、きのう、のべました。
これは――
ぼくの考えです。
このようには考えない人もいます。
そういう人は、おそらく、
――親が自分の夢を子どもにあずけ、その夢を子どもがかなえた例を知っている。
と、いうのでしょう。
たしかに――
そのような例は一見あるかと思います。
が――
ぼくにいわせれば――
それは、その子どもが、たまたま親と同じような夢をもったからにすぎません。
同じような夢なので――
親は、子どもが自分の夢をあずかってくれた――
とカンちがいをしてしまったのです。
ひょっとすると――
子どものほうもカンちがいをしているのかもしれませんよ。
親も子どもも、すっかりカンちがいをしていれば――
たしかに問題はないのかもしれませんね。
とはいえ――
そういうことをねらってやるのは、よくないことである――
と、ぼくは思っています。
親も子どもも、ともにカンちがいができるのは――
おそらく、何らかの幸運が、いくつか重なっているからです。
そのような幸運の重なりをふつうは、あてにできません。
ですから――
みなさん――
ぜひ、お父さんやお母さんから夢をあずかったりしないようにしましょう。
自分自身で夢を思いえがき――
それを自分自身の意志(いし)と努力とでかなえましょう。
もちろん――
お兄さんやお姉さんの夢ならよい、というわけでもありません。
学校や習い事の先生の夢ならよい、というわけでもありません。
……
……
もし――
どうしても、夢をあずかりたくなってしまったら――
その場合は仕方がありませんね。
あずかってもよいでしょう。
が、
(よいことは何もない――)
と、ぼくは思います。
その夢をあずけた人も、あなた自身も――
心が少しずつ苦しくなっていくと思います。
『10 歳の頃の貴方へ――』