自分の親や兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)にとっての、
――ものすごく好きなこと
は――
つい、自分にとっての、
――好きになれそうなこと
と思いこんでしまいがちである――
と、きのう、のべました。
このように、のべると――
次のような疑問(ぎもん)をもつ人が出てくるかもしれません。
――ぼくは、お父さんのことが大好きで、尊敬(そんけい)もしています。お父さんは子どものころから野球が好きで、将来はプロ野球の選手になろうと、がんばっていました。けれど、高校生だったときに大けがをして、プロ野球の選手になる夢(ゆめ)をあきらめました。ぼくは、お父さんの代わりにプロ野球の選手になろうと、今がんばっています。ぼくは、まちがっていますか。
……
……
ものすごく簡単(かんたん)に答えると――
あきらかに、まちがっている、というわけではありません。
が――
もしかしたら、まちがっているかもしれない――
……
……
ポイントは――
自分も野球が好きなのかどうか、です。
お父さんのことが大好きで、尊敬もしているのですから――
きっと野球は好きなのでしょう。
が――
その「好き」が本物かどうか――
そこがポイントなのです。
この疑問をもっている「ぼく」自身は、野球をどこまで好きなのか――
たとえ、お父さんが野球のことに全く関心がなくて、プロ野球の選手になる夢をあきらめたことがなかったとしても、「ぼく」はプロ野球の選手になろうと思えるのか――
その見きわめが、とても難(むずか)しいのですね。
……
……
この難しい問題に向き合うために――
親の中には、あえて、
――本当に、それでいいのかい?
と問う人がいます。
先ほどの例でいえば、
――お父さんは、お前がプロ野球の選手を目指すことには反対だ。
と、あえて伝えてみせる――
お父さんは、野球が大好きで、本気でプロ野球の選手になる夢を追っていたわけですから――
子どもから「ぼく、プロ野球の選手になる」といわれて――
うれしくないはずはありません。
が――
それでも、
――本当に、それでいいのかい?
と問うのです。
そうすることで、
――じゃあ、いい。
と、子どもが簡単(かんたん)に、あきらめるのなら――
――そのほうがいい。
と思うからです。
親は自分の夢を子どもに、あずけたりはしません。
子どもには、自分自身の手で夢をえがき、それをつかみとってほしいのです。
『10 歳の頃の貴方へ――』