――精神の意義
は――
極言をすれば、
―― s や q (x, t) の書き換え
にある。
ただし――
s は、身体の感覚器が受け取る信号を決める変数であり――
q (x; t) は、身体の持ち主が、身体の外部における状態について、主観的に見積もる確率であり――
x は、身体の外部における状態を決める変数である。
どのように書き換えるのか、といえば――
身体が“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量の上限を可能な限り低くするように――
である。
ということは――
裏を返すと――
身体にとって、“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量の上限が高くなることは、あまり好ましくない――おそらくは、身体の生存にとって、好ましくない――
と、いうことであろう。
なぜ――
そのような仕組みになっているのか。
おそらく――
身体の持ち主は、“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量が多い場合には、身体の生存にとって危険な運動に敢えて及ぼうとするから――
である。
身体には、“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量が多ければ多いほどに、危険な運動を始めようとする機能があるのだろう。
その機能が暴発をせぬように――
精神は常に制御をかけている――
それこそが、
――精神の意義
と、いえそうである。
『随に――』