マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神は身体を制している。では――

 精神は――

 身体の感覚器が受け取る信号を変えたり、身体の外部の再現の仕方を変えたりしつつ、

 ――“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量の上限

 が可能な限り低くなるように――

 身体を制している――

 といえる。

 

 ――身体の感覚器が受け取る信号を変える。

 ということは――

 身体の運動器へ信号を送り出し、身体の外部の状況を多少なりとも変える、ということに他ならぬ。

 

 これは――

 身体にとっては――

 外面的で表層的な変換といえる。

 

 一方、

 ――身体の外部の再現の仕方を変える。

 ということは――

 神経の装置の中で仮想的に構築をされている模型(model)の一部を変える、ということに他ならぬ。

 

 身体にとっては――

 内面的で深層的な変換といえる。

 

 外面的で表層的か――

 内面的で深層的か――

 

 違いは大きい。

 

 が――

 どちらの変換も、

 ――“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量の上限

 が多少なりとも低くなるのに寄与はしうる――

 と考えられる。

 

 このようにして――

 精神は、内に外に、身体を制している。

 

 では――

 

 このような制御を――

 身体が精神から受けなくなったとしたら――

 

 いったい、どうなるのか。

 

 つまり、

 ――身体の感覚器が受け取る信号を変える。

 ということがなくなり――

 身体の感覚器は、ずっと同じような信号を受け取り続け――

 

 ――身体の外部の再現の仕方を変える。

 ということもなくなり――

 身体の外部は、ずっと同じような仕方で再現をされ続ける――

 

 そうなると――

 いったい何が起こるのか。

 

 むろん――

 すぐにわかることは、

 ――“身体の内部の部分情報”を身体の外部へ送り出すのに費やしうる“身体の内部の全体情報”の量の上限

 が高くなる――

 ということだ。

 

 問題は――

 それが高くなったら、いったい何が起こるのか――

 ということである。

 

 ……

 

 ……

 

 『随に――』