マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

白湯を飲んでいる

 最近、白湯(さゆ)を飲んでいる。

 朝、起きて一杯――
 昼間、食事をとるときに一杯――
 夜、風呂からあがって二、三杯――

 以前はペットボトルのお茶を飲んでいた。
 冷たいものだ。

 が、去年の秋口あたりから、どうにも体の調子がおかしくなり――
 冷たいペットボトルのお茶を止めて、水道水を沸かした白湯にかえたら――
 ずいぶん体調がよくなった。

 もちろん――
 白湯だけが要因ではないけれど――

 白湯を飲むことの効能について、あれこれと語るつもりはない。

 医学的には、色々と蘊蓄(うんちく)を垂れることもできよう。
 が、今の僕は、そういうことには興味がない。
 ここでは、

 ――とりあえず体に悪いものではない。

 という程度に、とどめておく。

(ふうー)
 と思ったのは――

 白湯をおいしく感じる自分の味覚である。

 以前、ペットボトルのお茶を買い求めていた頃は、
(ただの水を沸かしたものじゃ、味気ないだろ)
 と思っていたわけである。

 それが、今ではどうか――
(いやあ、白湯ってホントおいしいな)
 と、心の底から感じ入っている。

 昔、古典をよんでいて、

 ――才なきを以て才とせむ。

 のような人物評を見聞きした記憶があるが――
 白湯には、さながら、

 ――味なきを以て味とせむ。

 のような趣きがある。

 それだけ、体が水を必要しているということであろう。

 ヒトの体の6、7割が水から成るというのも、うなずける話である。