マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

恋する力

 ――恋する力

 というものがあると思っている――
 などというと、いぶかる向きもあろう。

 ――愛する力

 という言い方なら、きいたことがある。
 が、

 ――恋する力

 は、きいたことがない。

 一般に、愛は持続的な強い意志だが――
 恋は一過的な淡い情動といってよい。

 つまり、愛に意志は不可欠だが、恋には不要である――
 恋煩いは、たいていの場合、独り善がりの自発の念と、昔から相場が決まっている。

 たしかに――
 人が恋をするのは、自然な成り行きだ。
 何か一生懸命に力をかけて、

 ――えいや、こら!

 と顕現させるものが恋ではあるまい。

 そこに異論はない。

 僕がいいたいのは、恋を見逃さない力のことである。
 注意力といったら、よいのか――
 あるいは――
 情に身を任せる勇気といったら、よいのか――

 例えば、

 ――恋する力

 に劣った人は、自分の恋には気づかない。
 気づいたとしても、無視をする。それを認める勇気をもたない。

 逆に、

 ――恋する力

 に優れた人は、自分の恋に敏感だ。
 すぐに気づいて受け入れる。それを認める勇気に溢れている。

 ブレーキしか付いていない路面電車を思い浮かべよう。
 運転手が操作できるのはブレーキのみである。
 アクセルは存在しない。送電を受ければ、電車は走る。
 ハンドルも存在しない。レールがあるので、必要がない。

 ――恋する力

 に劣った人は――
 送電を受けてもブレーキを入れっぱなしだ。
 だから、電車はゴトリとも動かない。
 が、

 ――恋する力

 に優れた人は――
 送電を受けたら上手にブレーキを緩める。
 だから、電車はスムーズに走り出す。

 運転台にはハンドルがない。どこへ進むかは、進んでみなければわからない。
 アクセルもないので、ブレーキを外すと、ただ、ひたすらに加速し続ける。

 こういう電車を巧みに操る人が――
 恋の手練である。