マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「学び解す」ではなくて

 最近、

 ――学び解(ほぐ)す。

 という言葉が注目を浴びているようだ。
 どうやら英語の、

 ――unlearn

 の訳語らしい。

 どうも、ひっかかる。

 この訳語を最初に目にしたときから、
(なんか違うぞ)
 と思っていた。

「unlearn」の概念にケチをつけているのではない。
 また、「学び解す」の概念にケチをつけているのでもない。

「unlearn」の訳語として「学び解す」をあてることに、ケチをつけている。

「unlearn」は「learn(学ぶ)」を否定した語だ。
 手元に英和辞典によれば、

 ――(習慣などを)わざと捨てる。意識的に忘れる。学び直す。

 とある。英英辞典には、

 ――to forget intentionally (something learnt, such as a fact or belief)――

 とある。日本語に訳せば、

 ――(学んだ事実や信条などを)わざと忘れること――

 だ。例文としては、

 ――We've had to unlearn the old system of teaching mathematics.

 が掲載されていた。日本語に訳せば、

 ――私たちは、古い数学教育システムを unlearn せねばならなかった。

 となる。

 この例文で、「unlearn せねば」のところに「学び解さねば」を入れてみるとよい。
 それだと、

 ――古い数学教育システムを詳細に検討し、良いところは残し、悪いところは改める。

 くらいの意味になってはしまわないだろうか。
「解す」とは、複雑に絡まりあった事物を一つひとつ丹念に分離・整理していく行為である。

「unlearn」とは、そんな生ぬるい行為ではない。
 もっと過激である、「わざと忘れること」なのだから――

 ――そんなの知らねえよ!

 などとスッとぼける勢いがある。
 この「unlearn」の過激な勢いを、「学び解す」は伝えない。

「学び解す」ではなく、「学び捨てる」がよい。

 人は、学ぶこと、学び捨てることを繰り返すうちに――
 いつしか、学び解せるようになる。