マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

長大かつ複雑な論の弊害

 何かを論じるときに――
 その論が長大かつ複雑であるほどに、もっともらしさは失われます。

 すなわち――
 論というものは、すべからく短小かつ単純であらねばなりません。

 そうでなければ――
 その論が、世に広く受け入れられることはないでしょう。

 ――いや、そうではない。

 という向きもあるに違いありません。
 曰く、

 ――論というものは、精緻にすればするほどに、それは必然的に長大かつ複雑になる。短小かつ単純な論では、短小かつ単純な内容しか伝えられない。

 と――

 が――
 それは誤りです。

 短小かつ単純にできない論は、まだ論としては未成熟である、というだけのことです。

 長大かつ複雑な内容を、短小かつ単純な論で伝えられるときに――
 その論は、意義深く定式化されている――つまり、洗練されている――といえます。

 長大かつ複雑な論というものは――
 ほぼ常に無価値であると考えてよいでしょう。

 少なくとも――
 長大かつ複雑な内容を伝えるのには最も適さないといってよいでしょう。