マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

主観が客観であるかのように語られれば

 歴史とは人々の主観のせめぎあいなので――
 歴史を語るということは、自分の主観か誰か他の人の主観を語る、ということです。

 にもかかわらず――
 さも客観であるかのように歴史を語る人がいます。

 トラブルのもとです。

 語っている当人にとっては、あくまで客観であっても――
 実際には、それは、その人の主観か、誰か他の人の主観です。

 よって――
 多くの場合は、誰かを怒らせることになる――

 主観が客観であるかのように語られれば――
 それを聞いた人の何割かは確実に怒りだす――
 そういう性質が、人にはあるからです。