マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人は、どんなときでも自然体でいられるか

 どんなときでも自然体でいられる人というのは――
 誰にも期待をしていない人だろうと思います。

 自分の周りにいる全ての人たちに期待をしない――
 当然、自分自身にも期待をしない――

 自分にも他者にも期待をしないから――
 気負うことがないし、入れ込むこともない――
 落胆することもないし、欣喜することもない――

 ――あなたには、ものすごく期待してるから!

 といわれて、

 ――あ、そうですか。ありがとうございます。

 と、社交辞令で返し――

 ――あなたには、ものすごく期待してたのに、こんなことになって残念だ!

 といわれても、

 ――まことに申し訳ありませんでした。

 と、定型語句で返す――

 あるいは、

 ――私は、とんだ買いかぶりをしていたようだ!

 と厭味をいわれて、

 ――はい。たぶん、そうなんでしょうね。

 と、スっとぼけてみせる――

 そういう人は――
 たしかに、どんなときでも自然体でいられるだろうと思うのですが――

 ただ――
 そういう人が人として自然かどうかといわれれば――
 ちょっと考え込んでしまいますね。

 どんなときでも自然体でいられるということは、それ自体そんなに自然なことではない、という矛盾を――
 思わずにはいられません。