マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どんな努力も、いつかは役に立つ

 ――努力

 には、

 ――意味のある努力

 と、

 ――意味のない努力

 とがある――

 と、きのう、のべました。

 

 ――だから、できる限(かぎ)り、意味のある努力をして、意味のない努力はしないようにするのがよい。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 ところで――

 

 よく、

 ――むくわれない努力は存在をしない。

 などと、いわれます。

 

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 と――

 

 これは本当でしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 これを――

 ぼくは、20 才ころまでは、

 (ウソだ)

 と思っていました。

 

 が――

 30才をすぎたころからは、

 (たぶん本当――)

 と、思い始めています。

 

 ――できる限り、意味のある努力をして、意味のない努力はしないようにするのがよい。

 と、いっているのに――

 なぜ、

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 などといえるのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 その理由は――

 ――努力の意味

 を正しく見つけ出すのが、とても難しいから――

 です。

 

 あなたには、

 ――意味のある努力

 に思えても、他の人たちには、

 ――意味のない努力

 にしか思えない、ということや――

 あなたには、

 ――意味のない努力

 にしか思えなくても、他の人たちには、

 ――意味のある努力

 に思える、ということが――

 よくあります。

 

 だから――

 あなたが、何か努力をしようと思うときには――

 少なくとも、

 ――努力の意味

 を、ある程度(ていど)は自信をもって見つけ出せるようになるまでは――

 他の人たちにアドバイスを求めるのがよいのです。

 

 そのようにして、

 ――努力の意味

 を慎重(しんちょう)に考えるクセがつけば――

 たとえ、

 ――意味のない努力

 を、うっかりやってしまったとしても――

 その努力が、あとになって、思いもしなかったかたちで役に立つことがあります。

 

 例えば――

 少しでも速く走れるようになろうと、毎日よい姿勢で3時間くらい立ちつづけたり、毎日 1,000 回ずつ左右の腕(うで)を振(ふ)ったりする努力を、うっかりやってしまったとしても――

 その努力が、あとになってダンスを習い始めたときに、なぜか役に立ってしまった――

 というようなことがありうるのです。

 

 ――努力の意味

 は、

 ――努力の目的

 で決まります。

 

 ――努力の目的

 が変われば、

 ――努力の意味

 も変わります。

 

 だから――

 たとえ、

 ――意味のない努力

 であったとしても、

 ――ものすごく的外れ

 というわけでなければ――

 いつかは役に立つことがあると信じてよいのです。

 

 だから、

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 と、ぼくは信じることにしています。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』