人は――
生きていけば、生きていくほどに――
自分の未来の方向に制限(せいげん)をかけていきます。
生まれたばかりの赤ちゃんが――
あらゆる未来の方向に無限の可能性をもっているとしたら――
1 才、3 才、5 才、10 才と年を重ねるごとに――
少しずつ、その未来の方向には制限がかかっていくのです。
みなさんは、もう 10 年くらい生きていますから――
すでに多くの方向で制限がかかっているはずです。
どの方向に制限がかかっているのか――
それをよく見きわめていくことが大切です。
それが見きわめられれば――
制限がかかっていない方向が、自然とわかってきます。
そちらへ向かって、あなたの未来を伸(の)ばしていけばよいのです。
……
……
大人たちは――
よく、
――自分で勝手に限界(げんかい)を設(もう)けるな。
といいます。
――どこまで伸びるのか、だれにもわからないのだから、どこまでも伸びるつもりで、がんばってほしい。
という意味です。
これは、
(正しい)
と、ぼくも思います。
――どうせ私のことだから、これくらいしか伸びないだろう。
などと決めつけるのは、実にもったいないことであると思います。
が――
この、
――どこまで伸びるのか。
ということと、
――どの方向へ伸びるのか。
ということとをゴッチャにしてはいけません。
自分の未来を、あえて制限がかかっている方向へ伸ばそうとするのは――
賢(かしこ)いやり方ではないと、ぼくは思います。
自分の未来は、せっかくですから、制限がかかっていない方向へ伸ばすように努力をしたらよいと思うのです。
もちろん――
あえて制限がかかっている方向へ伸ばすような努力も――
まったく無意味とはいえません。
2023年2月26日に、のべたように――
どんな努力も、いつかは役に立つのです。
ねらった通りのかたちで直接的(ちょくせつてき)に、むくわれることはなくても――
思わぬかたちで間接的(かんせつてき)には、むくわれるでしょう。
が――
制限がかかっている方向への努力と制限がかかっていない方向への努力とであれば――
制限のかかっていない方向への努力のほうが、制限のかかっている方向への努力よりも、何倍も楽しめます。
どうせなら――
楽しい努力をしましょう。
楽しくない努力は、それをさけて通れるのなら、さけて通った方が幸せです。
『10 歳の頃の貴方へ――』