マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

目標をまちがえた努力は心をゆがめる

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 と、2023年2月26日に、のべました。

 

 ――むくわれない努力は存在をしない。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 その理由として――

 2023年2月27日に、

 ――人は、むかし自分がやった努力が役に立つようなことを何となくやろうとするから――

 とか、

 ――むかし自分がやった努力がむくわれるような生き方を、人は何となく選ぶから――

 とかいうことを挙げました。

 

 それは、その通りなのですが――

 

 一つ注意をしなければならないことがあります。

 

 それは――

 たしかに、どんな努力も、いつかは役に立つし、むくわれない努力は存在をしないけれども、

 ――努力の目標をまちがえることはある。

 ということです。

 

 例えば――

 きのう、のべたように、

 ――世の中の捉(とら)え方

 という暗黙知(あんもくち)を手に入れるために、

 ――学校のテストで高い点数をとりつづける。

 という努力は――

 

 ――目標をまちがえた努力

 の典型(てんけい)なのです。

 

 学校のテストで、いくら高い点数をとりつづけても、

 ――世の中の捉え方

 という暗黙知は手に入りません。

 

 が、

 ――手に入った!

 とカンちがいをすることはありえます。 

 

 そうなると――

 あとが大変(たいへん)です。

 

 実際(じっさい)には、

 ――世の中を捉える。

 ということが、まったくできていないにもかかわらず、

 ――世の中を捉えることができている。

 とカンちがいをしていることになるからです。

 

 このようなカンちがいは――

 あなたの心をゆがめます。

 

 つまり――

 目標をまちがえた努力は心をゆがめるのです。

 

 たしかに、

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 とはいえるし、

 ――むくわれない努力は存在をしない。

 ともいえるのですが――

 

 それは、

 ――努力の目標をまちがえていない。

 ということが前提(ぜんてい)なのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』