マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その自信は“過信”であり、“不当な自信”である

 ――自分に自信をもつには、意識(いしき)をして、“10,000 時間の壁(かべ)”を乗りこえて、何か1つ暗黙知(あんもくち)を手に入れることである。

 と、きのう、のべました。

 

 このように、のべると、

 ――それなら、とにかく意識をして、10,000 時間くらい何かの体験をくりかえし、その結果、何らかの暗黙知を手に入れられたと思いこんだら、それだけで自分に自信をもてるのか。

 と疑う人が出てくるのですが――

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 その通りなのです。

 

 とにかく意識をして、10,000 時間くらい何かの体験をくりかえし、その結果、何らかの暗黙知を手に入れることができたと思いこんでしまったら――

 たとえ、本当は何一つ暗黙知を手に入れることができていなくても――

 それだけで自分に自信をもててしまえるのです。

 

 これは――

 たいへんに恐(おそ)ろしいことです。

 

 例えば――

 とにかく意識をして、10,000 時間くらい、

 ――学校のテストで高い点数をとる。

 という体験をくりかえし――

 その結果、

 ――世の中の捉(とら)え方

 という暗黙知を手に入れることができたと思いこんでしまったら――

 それだけで自分に自信をもててしまえるのですね。

 

 実際(じっさい)には、

 ――学校のテストで高い点数をとる。

 という体験と、

 ――世の中を捉える。

 という体験とは――

 別のことです。

 

 学校のテストで、どんなに、しょっちゅう高い点数をとりつづけたところで――

 それは、だれかが作った質問(しつもん)の一覧表(いちらんひょう)に――おそらくは学校の先生が作った質問の一覧に――期待の通りの回答をよせつづけた、ということにすぎません。

 

 だれかの作った質問の一覧表に期待の通りの回答をよせつづけることと――

 世の中を捉えることとは――

 根本的には何の関係もありません。

 

 にもかかわらず――

 自分に自信をもってしまう――

 

 その自信は、

 ――過信(かしん)

 であり、

 ――不当な自信

 であるといえます。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』