何かの暗黙知(あんもくち)を手に入れたかどうかは、自分一人でも判断(はんだん)ができてしまうように思えるために――
人は、
―― 10,000 時間の壁(かべ)
をこえようと、やみくもに努力をつづけていく結果、もし、自分の感覚に何らかの変化が少しでも起こったら、
――やった! 暗黙知を1つ手に入れた!
とカンちがいをしてしまう――
と、きのう、のべました。
そのような“自分の感覚の変化”として――
どのようなことが挙げられるのか――
この問いに答えるのは――
そう簡単(かんたん)ではありません。
まずは、人によって、ちがってきますし――
かりに同じ人であっても、年令によって、ちがってきますし――
また、当然のことながら――
手に入れようとしているのは、どの暗黙知かによっても、ちがってきます。
……
……
みなさんくらいの年令にありがちな例を一つだけ挙げれば――
――世の中の捉(とら)え方
という暗黙知について――
――学校のテストで高い点数をとりつづける。
という努力をしている人が――
あるときまでは、学校の教科書に直接(ちょくせつ)記されていることだけで問題が出されたテストでしか高い点数がとれなかったにもかかわらず――
あるときからは、学校の教科書に直接は記されていないことで問題が出されたテストでも高い点数をとれるようになった――
このようなときに――
その人は、
――やった! 「世の中の捉え方」という暗黙知を手に入れることができた!
と思いこんでしまいやすいのです。
たいていの人は――
学校の教科書に直接、記されていることは、世の中の一部にすぎないということはわかっています。
よって――
学校の教科書に直接、記されていることだけで出題をされたテストで高い点数をとっても、
――やった! 世の中が捉えられた!
と思いこむことはありません。
が――
学校の教科書に直接は記されていないことでも出題をされたテストで高い点数をとったら――
どういうわけか、
――やった! 世の中が捉えられた!
と思いこんでしまう――
……
……
何をかくそう――
ぼく自身が、そうでした。
15 才くらいのころです。
みなさんも十分に気をつけてください。
『10 歳の頃の貴方へ――』