マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

未来に制限がかかる

 みなさんは、もう 10 年くらい生きているので――

 みなさんの未来には、すでに多くの方向で制限(せいげん)がかかっているはずである――

 と、きのう、のべました。

 

 その制限は――

 具体的に、どのように――

 かかっているでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 その制限のかかり方は――

 人それぞれです。

 

 そもそも――

 みなさんの未来を――

 どんなことに着目をしながら思いえがいていくかによっても、ちがってきます。

 

 未来の思いえがき方は1つではありません。

 

 きょうは、さしあたり、

 ――暗黙知(あんもくち)

 に着目をして――

 みなさんの未来の思いえがき方の例をしめしましょう。

 

 ――暗黙知

 というのは――

 6月11日以後くりかえし、のべているように、

 ――体験をくりかえすことによって、自然に知ったり、わかったりすること

 です。

 

 大まかに数えたら――

 次の7つが挙げられます。

 

 ――意識(いしき)の働かせ方

 ――世の中の捉(とら)え方

 ――体の動かし方

 ――外国語の使い方

 ――物事の創(つく)り方

 ――人の心の捉(とら)え方

 ――未知の物事の見つけ方

 

 このうち、

 ――意識の働かせ方

 については――

 みなさん、すでに、ほとんどの人たちが手に入れています。

 

 そして、

 ――世の中の捉え方

 については――

 今まさに手に入れようとしているところのはずです。

 

 みなさんが取りくんでいる学校の勉強は、

 ――世の中の捉え方

 という暗黙知を手に入れるためです。

 

 ところで、

 ――世の中を捉える。

 ということについては――

 どうしても、人によって得意(とくい)・不得意(ふとくい)に分かれるのです。

 

 その前に――

 実は、好き・嫌(きら)いが分かれるのですね。

 

 みなさんのうちで、

 ――世の中を捉える。

 ということが好きな人は――

 今、

 ――世の中の捉え方

 に、どんどん、ひきこまれているはずです。

 

 そういう人は、遅(おそ)かれ早かれ、

 ――世の中を捉える。

 ということが得意になるでしょう。

 

 一方で、

 ――世の中を捉える。

 ということが、どうしても好きになれない人もいます。

 

 そういう人は――

 他のことへ――例えば、

 ――体の動かす。

 ――外国語を使い

 ――物事を創る

 ――人の心を捉える

 ――未知の物事を見つける

 といったことへ――

 自然と関心が向くのです。

 

 そうなれば――

 当然のことながら、

 ――世の中を捉える。

 ということへは関心が向かなくなり――

 

 その結果、

 ――世の中の捉え方

 は、

 ――まあ、もう、いいかな。

 と思うようになり――

 

 その結果、

 ――世の中の捉え方

 が多少なりとも不得意になってしまうのですが――

 

 その代わりに――

 

 そういう人は、

 ――体の動かし方

 が得意になるかもしれません。

 

 あるいは、

 ――外国語の使い方

 や、

 ――物事の創り方

 や、

 ――人の心の捉え方

 や、

 ――未知の物事の見つけ方

 が得意になるかもしれない――

 

 ……

 

 ……

 

 ――未来に制限がかかる。

 というのは――

 要するに――

 こういうことなのです。

 

 つまり、

 ――世の中を捉える。

 ということが、どうしても好きになれない人にとっては、

 ――“世の中の捉え方”という暗黙知を手に入れる未来

 に制限がかかるけれども、

 ――他の暗黙知を手に入れる未来

 には制限がかからない――

 

 そういうことです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』