マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

どうしても好きになれない

 ――未来に制限(せいげん)がかかる。

 ということは――

 例えば、

 ――世の中を捉(とら)える。

 ということが、どうしても好きになれない人にとっては、

 ――“世の中の捉え方”という暗黙知(あんもくち)を手に入れる未来

 には制限がかかり、

 ――他の暗黙知を手に入れる未来

 には制限がかからない、ということである――

 と、きのう、のべました。

 

 つまり、

 ――“世の中の捉え方”という暗黙知を手に入れる未来

 に制限がかかる一方で、

 ――“体の動かし方”という暗黙知を手に入れる未来

 や、

 ――“外国語の使い方”という暗黙知を手に入れる未来

 や、

 ――“物事の創(つく)り方”という暗黙知を手に入れる未来

 や、

 ――“人の心の捉え方”という暗黙知を手に入れる未来

 や、

 ――“未知の物事の見つけ方”という暗黙知を手に入れる未来

 には制限がかからないので――

 これらの未来が伸(の)びていきやすくなる――

 ということです。

 

 ……

 

 ……

 

 ところで――

 

 大人たちのなかには、

 ――どうしても好きになれない。

 という気持ちを、「とても良くないことだ」と思う人がいます。

 

 例えば、

 ――世の中を捉える。

 ということが、どうしても好きになれないというのは――

 要するに、

 ――勉強が好きになれない。

 ということであるわけで――

 その点だけに着目をし、「どうしても勉強が好きになれないというのは甘(あま)えにすぎない!」と、おこりだしてしまうのですね。

 

 ぼくは、

 ――どうしても好きになれない。

 という気持ちを、「とても良くないことだ」とは思いません――また、「甘えにすぎない」とも思いません。

 

 むしろ、

 ――どうしても好きになれない。

 という気持ちがあるのに――

 それに目をつぶり、好きでもないことにこだわりつづけていくことのほうが、

 (とても良くないことだ)

 と思いますし、

 (そっちのほうが甘えかもしれない)

 と思います。

 

 ――どうしても好きになれない。

 という気持ちがあるのなら――

 それに目をつぶるのは、よくありません。

 

 好きになれないことがあるのなら――

 まずは、そのことに気づくことです。

 

 そして――

 そのことを受け入れること――

 

 どうしても好きになれないことは、好きにならないままが、よいのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』