マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その“準備の始まり”こそが「心の成長」

 自分の未来を少しでも確(たし)かに見通すためには――

 選んだことよりも、選ばなかったことのほうが大切であり――

 捨て去らなかったことよりも、捨て去ったことのほうが大切である――

 と、きのう、のべました。

 

 自分が選んだことや捨て去らなかったことではなく――

 自分が選ばなかったことや捨て去ったことこそが――

 自分の未来に制限(せいげん)をかけているからです。

 

 その、

 ――自分の未来に制限をかけていること

 が何なのかを、はっきりとわかっていることが――

 自分の未来を見通すためには必要なのです。

 

 自分の未来が、どの方向から制限を受けているのかが、わからなければ――

 自分の未来を見通すことなど、できるわけがありません。

 

 例えば――

 海岸を歩いていて、とくに船などを持っていないのに、

 ――私は前後左右どちらへでも好きな方向へ進むことができる。

 と思いこんでいる人は――

 自分の未来を見通せるわけがありませんよね。

 

 そういう人は――

 何となく海の真ん中で宝島(たからじま)をさがそうとしたり、まだ見ぬ外国の港の景色を思い浮かべたりしていますから――

 とんでもないくらいに運が良くないかぎり――

 いつの間にか波間に呑(の)まれて沖の方へと流されてしまい、おぼれ死んでしまうことでしょう。

 

 が――

 海岸を歩いていて、とくに船などを持っていない、ということを、はっきりとわかっている人は――

 海の真ん中の宝島や、まだ見ぬ外国の港に、いつまでも興味(きょうみ)をもっていたりはせず――

 やがて、海岸をはなれ、陸地の奥の方へと歩き始めます。

 

 ――自分の未来に制限をかけていること

 が何なのかを、はっきりとわかっていれば――

 自分の未来を見通すことは、むずかしくないのです。

 

 その結果、

 ――これからの自分は、こうやって生きていくのだ。

 という覚悟(かくご)が生まれます。

 

 そして――

 自分の未来について、とくに制限のかかっていない方向への関心を高めていき――

 その方向へと進むための準備(じゅんび)を始るようになる――

 

 先ほどの海岸を歩ている人の例に戻(もど)れば――

 

 船もないのに沖の方へ出ることなどは考えたりせずに――

 陸地の方で自分に何ができるのか、自分は何をやりたがっているのか、に関心を高めていきます。

 

 都市で暮(く)らすのか――

 農村で暮らすのか――

 あるいは、高い山の頂上を目指すのか――

 

 そのようにして――

 自分のやりたいことが、ある程度(ていど)わかったら――

 そのための準備は自然と始められます。

 

 都市で暮らすには、どんな仕事に就(つ)けばよいのか――

 農村で暮らすには、どんな技術を習えばよいのか――

 高い山の頂上を目指すには、どんな道具をそろえればよいのか――

 

 その、

 ――準備の始まり

 こそが、

 ――心の成長

 なのですね。