マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

何となく関心をもったり、決心をしたり――

 ――どんな努力も、いつかは役に立つ。

 と、きのう、のべました。

 

 ――むくわれない努力は存在をしない。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 本当は、

 (ぎゃくだ)

 と思っています。

 

 つまり、

 ――人は、むかし自分がやった努力が役に立つようなことを何となくやろうとする。

 ということです。

 

 あるいは、

 ――むかし自分がやった努力がむくわれるような生き方を、人は何となく選ぶ。

 ということです。

 

 例えば――

 少しでも速く走れるようになろうと、毎日よい姿勢で3時間くらい立ちつづけたり、毎日 1,000 回ずつ左右の腕(うで)を振(ふ)ったりする努力をつづけた結果――

 当然のことながら、速く走れるようにはならなかった人が――

 その後、何となくダンスに関心をもち、やがて、少しでも上手にダンスができるようになろうと決心をする――

 ということです。

 

 このように――

 あることに、

 ――何となく――

 関心をもったり、決心をしたりすることが――

 人にはあります。

 

 ただし――

 本人は、ほとんど気づいていないことが多いのです。

 

 周りの人たちも、かなり注意深く本人のことをみていないと、なかなか気づけません。

 

 気づいていないのに、きちんと関心をもったり、しっかりと決心をしたりする――不思議ですね。

 

 このように、

 ――何となく――

 関心をもったり、決心をしたりすることを、

 ――無意識(むいしき)に――

 と、いいます。

 

 たんに、

 ――無意識

 と、いったり、

 ――無意識的(むいしきてき)に――

 と、いったりもします。

 

 反対に――

 関心をもったり、決心をしたりすることに、はっきりと気づいているときは、

 ――意識的(いしきてき)に――

 と、いいます。

 

 ――意識

 も、

 ――無意識

 も、

 ――心の働き

 の一部です。

 

 心の働きのうち――

 自分自身で気づいている部分を、

 ――意識

 と呼んで――

 自分自身で気づいていない部分を、

 ――無意識

 と呼んでいます。

 

 何か努力をするときは――

 意識だけでなく、無意識をうまく活(い)かすようにすると――

 むくわれることが多くなるようです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』