自分にとっての、
――ものすごく好きなこと
や、
――ものすごく得意(とくい)なこと
が、はっきりとわかったら――
その後は、なるべく、自分にとっての
――好きになれそうにないこと
や、
――どうしても好きになれないこと
にも、あえて関心を向けてみるのがよい――
と、きのう、のべました。
そうすることで、
――ものすごく好きなこと
や、
――ものすごく得意なこと
が、ますます好きになり、得意になる――
と――
……
……
これは――
ぼく自身、強く実感をしています。
ぼくは――
10 才のころ、勉強が、まあまあ好きで、そこそこに得意でした。
一方で――
運動は、まったく好きになれそうになく、けっこう不得意(ふとくい)でした。
20 才ころになって――
ぼくは、勉強が、けっこう好きになり、また、「ものすごく」ではないけれども、それなりに得意になりました。
同じころに――
ぼくは運動にも少しだけ関心をもつようになりました。
(運動は、どうしても好きになれないし、まったく不得意ではあるのだけれども、少しは関心をもってみるか)
と思うようになったのですね。
その理由は――
自分でも、よくわからないのですが――
おそらく――
高校や大学で、
――勉強も運動も好きで得意――
という人たちを何人もみてきていたからです。
(どうして、ぼくは、そうではないんだろう?)
と、純粋(じゅんすい)に疑問(ぎもん)に思ったのですね。
もちろん、劣等感(れっとうかん)がありました。
勉強も運動も心の底から楽しんでいるようにみえた人たちのことが、うらやましくなり――
また、そんなふうに感じている自分のことが、なんだか、とても、はずかしくなったのです。
それで――
とりあえず、自分にできる範囲で、運動をやってみることにしました。
すると――
すぐに気づいたことがあります。
それは、
(ぼくは、いま生まれて初めて、自分から望んで運動をやろうとしている)
ということでした。
それまでは――
他人からいわれて運動をやっていたのです。
親からいわれ――
先生からいわれ――
自分から望んでやろうとしたことは――
たぶん本当に一度もありませんでした。
……
……
運動であっても勉強であっても――
自分から望んでやろうとしないかぎり、好きになることは、ぜったいにない――
そのときに、ようやく――
ぼくは、
――自分から望んでやろうとする。
ということの大切さを本当の意味で知ったのでした。
『10 歳の頃の貴方へ――』