マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

これだ!

 人は、さまざまな体験をくりかえすうちに、

 ――好きになれそうなこと

 や、

 ――好きになれそうにないこと

 を見つけだしていくけれども――

 これらを見つけだすことは、どちらも簡単(かんたん)ではなくて――

 

 ――好きになれそうにないこと

 なら、ある程度(ていど)は見つけだせるけれども、

 ――好きになれそうなこと

 は、なかなか見つけだせない――

 

 と、きのう、のべました。

 

 ……

 

 ……

 

 そうであるからだと思うのですが――

 

 あることが、ものすごく好きで、ものすごく得意(とくい)であるために――

 それによって世の中に広く名前が知れわたっているような人たちがいます。

 

 学者や研究者、芸術家(げいじゅつか)や音楽家、スポーツ選手や冒険家(ぼうけんか)、会社経営者(かいしゃけいえいしゃ)や社会活動家といった人たちです。

 

 そういう人たちの多くが同じことをいっています。

 

 それは――

 その“ものすごく得意であること”に、自分が、どのように出会ったのかを語るときのことです。

 

 最初は何となく関心をもっただけで―― 

 そんなに深くは考えずに、とりあえず、それをやってみた――

 

 そうしたら、

 ――これだ!

 と思った――

 

 そう思ったら―― 

 その後、それが、ものすごく好きになって、ものすごく得意になっていった――

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく――

 その、

 ――これだ!

 と思ったときというのが――

 

 ――好きになれそうなこと

 を見つけだせたときです。

 

 そういう人たちは―― 

 それまでに、

 ――好きになれそうにないこと

 をたくさん見つけだしているのですね。

 

 ――好きになれそうにないこと

 というのが、わかれば――

 それとは直接の関係のなさそうなことが、

 ――好きになれそうなこと

 であろう、ということはわかります。

 

 が、

 ――好きになれそうなこと

 それ自体がズバリわかるわけではないから――

 とても、もどかしい気分になっているはずです。

 

 そういう気分になっているときに、

 ――好きになれそうなこと

 に出会うと――

 いったい、どんな思いがすると思いますか。

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく――

 とても、うれしく思いますよね。

 

 うれしいだけでなくて――

 ビックリもするでしょう。

 

 そういう思いをしているときに――

 とっさに出てしまう言葉が、

 ――これだ!

 なのです。

 

 それくらい、

 ――好きになれそうなこと

 は、

 ――好きになれそうにないこと

 よりも、ずっと見つけだしにくい――

 ということです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』