マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

好きをもっと好きに、得意をもっと得意に――

 ぼくは、20 才のころ――

 どうしても好きになれなかった運動に関心を向けることで、

 ――自分から望んでやろうとする。

 ということの大切さを初めて本当の意味で知った――

 と、きのう、のべました。

 

 これによって――

 わかったことがありました。

 

 それは――

 好きなことをもっと好きになるには、どうしたらよいか――

 あるいは、得意(とくい)なことをもっと得意になるには、どうしたらよいか――

 ということです。

 

 ……

 

 ……

 

 ぼくは――

 きのう、のべた通り――

 10 才のころは、勉強が、まあまあ好きで、そこそこに得意(とくい)でした。

 

 それが――

 20 才のころには、どういうわけか、勉強が、けっこう好きになっていて、それなりに得意にもなっていたのですね。

 

 ここでいう「それなりに」というのは、

 (少なくとも 10 才のころよりは、20 才のころのほうが、より得意になっている)

 という意味です。

 

 なぜ、そうなったのかといえば――

 

 それは――

 おそらく――

 10才のころのぼくは、自分から望んで勉強をするということが、まず、なかったのであるけれども――

 20才のころのぼくは、自分から望んで勉強をするということが、少しずつ、ふえていっていたからではないか――

 と感じられました。

 

(そうか――勉強を自分から望んでやろうとすれば、もっともっと勉強が好きになれるし、もっともっと勉強が得意になれる――そうに、ちがいない)

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 それからというもの――

 ぼくは、むやみに勉強をするのをやめました。

 

 自分から望んで勉強をしようと思えることだけに集中をして――

 一生けん命に勉強をするようにしたのです。

 

 そして――

 自分から望んで勉強をしようとは思えないことについては、そんなに集中はせずに、ほどほどに勉強をする――必要最低限(ひつようさいていげん)に勉強をする――

 そんなふうに、わりきるようになったのですね。

 

 そうしたら――

 勉強のことが、さらに好きになっていきました。

 

 たぶん、得意にもなっていたと思います。

 

 もちろん――

 この世の中には、ぼくより勉強が得意な人たちが数えきれないほどにいますから、

 (ぼくは勉強が得意なんだ!)

 とは思っていませんが――

 

 少なくとも――

 今のぼくは、20才のころのぼくよりも、勉強が得意になっています。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』