マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人の一生は、“どうしても好きになれないこと”に 10,000 時間も使えるほどには長くない

 ――ものすごく好きなこと

 や、

 ――ものすごく得意(とくい)なこと

 を見つけだすには、あえて、

 ――好きになれそうにないこと

 にも取りくむ必要がある――

 と、きのう、のべました。

 

 その結果――

 うまい具合に、

 ――好きになれそうなこと

 が見つかれば――

 あとは、それに夢中(むちゅう)になって取りくみつづけ――

 どうにかして、

 ―― 10,000 時間の壁(かべ)

 をこえることである、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ここで大切なことは――

 

 ――好きになれそうなこと

 を見つけだすために、あえて、

 ――好きになれそうにないこと

 に取りくむことと、

 ――好きになれそうなこと

 が見つかった後で――

 それに夢中で取りくむこととは――

 しっかりと区別をしなければいけない――

 ということです。

 

 例えば、

 ――好きになれそうなこと

 が見つかった後は――

 それに夢中で取りくみつづけることで、

 ―― 10,000 時間の壁

 をこえなければいけないのに――

 ただ何となくダラダラと取りくんでいたのでは――

 その、

 ――好きになれそうなこと

 は、いつまでたっても、

 ――ものすごく好きなこと

 や、

 ――ものすごく得意なこと

 にはなりません。

 

 また、

 ――好きになれそうにないこと

 が本当に好きになれないのかを確かめるために取りくんでいたのに――

 いつのまにか、

 ―― 10,000 時間の壁

 をこえようとしていた――

 というのも、よいことではありません。

 

 実際(じっさい)には、

 ――どうしても好きになれないこと

 であるかもしれないのに――

 それに、ただ何となくダラダラと取りくむのは――

 時間のムダといえます。

 

 そんなことに、

 ―― 10,000 時間

 を使えるほどには――

 人の一生は長くないのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』