――人体はエネルギーの流れに吹き抜かれて生きている。
と――
おとといから、この『道草日記』で繰り返し述べてきましたが――
エネルギーの流れに吹き抜かれて生きているのは――
もちろん、人体だけではありません。
あらゆる生物種の個体が、そのように生きています。
そのエネルギーの流れに関与する物質は、生物種によって、いささか――ときに、いちじるしく――異なるのですが――
エネルギーの流れに吹き抜かれて生きているという点では――
あらゆる生物種が同じです。
よって、
――エネルギーの流れに吹き抜かれている
をもって“生物の定義”としたくなるのですが――
残念ながら――
そうはいきません。
というのは――
エネルギーの流れに吹き抜かれているもので、あきらかに「生物」とは呼べないものが、少なからず存在するからです。
おとといの『道草日記』で比喩に用いた風車などは、わかりやすい典型例です。
が――
風車は人為的に作られた機械であり、人の手によって幾つでも作り出すことができますから、「生物」と呼べないのは当たり前ですよね。
よって――
ちょっと今は脇に置くとして――
……
……
人為的に作られた機械ではないもので、エネルギーの流れに吹き抜かれているものには――
どんなものがあるのかと、いいますと――
例えば――
液体や気体などの流体に発生する渦です。
海峡に発生する渦潮(うずしお)や洋上に発生する台風などが、わかりやすいでしょう。
渦潮は海水という液体の移動であり、台風は大気という気体の移動です。
これら液体や気体の移動はエネルギーの流れを反映したものと解釈できます。
よって、
――エネルギーの流れに吹き抜かれているものが生物である。
と定義すると――
渦潮や台風も「生物」とみなさざるをえなくなります。
それでは、僕らの素朴な感覚からはズレすぎるのですね。
よって――
「エネルギーの流れに吹き抜かれている」をもって“生物の定義”とすることは、できないのです。