マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

無生物から生物への“架け橋”

 生物と無生物との境界線を引くのは困難であることを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 それは、現代科学の限界といえます。

 少なくとも――
 20世紀ベルギーの理論化学者・物理学者イリヤ・プリゴジンが提唱した、

 ――散逸構造

 の概念を踏まえる限りは――

 ある種の無生物――例えば、海峡の渦潮や洋上の台風といった無生物――と、いわゆる“生き物”の生物との間の質的差異を――
 明確に指摘することができません。

 このことは――
 見方を変えると――
 散逸構造の概念が、無生物から生物への“架け橋”になっていることを意味します。

 それは、20世紀の科学者らにとっては、まぎれもなく衝撃的でした。

     *

 古来――
 生物は無生物から何となく自然に発生すると素朴に考えられてきました。

 近代になって――
 いわゆる微生物の発見が、その考えを強固なものにしました。

 例えば、肉汁が腐敗する様子は――
 微生物の自然発生を印象づけるものでした。

 この“生物の自然発生”説を明快に否定してみせたのが――
 有名な“白鳥の首の形をしたフラスコ”の実験です。

 19世紀フランスの生物学者・化学者ルイ・パストゥールは――
 空気は出入りできるけれども微生物は出入りができないと考えられる形のフラスコを考案し――
 そのフラスコの中では肉汁が腐敗しないことを示します。

 以後、

 ――生物とは、あくまで前世代から生まれてくるのであって、無生物から自然に発生することはない。

 が定説となりました。

 パストゥールの実験は、後世の科学者らの語り草となるほどに鮮やかでしたが――
 これによって、生物の自然発生の“芽”が摘まれたことは――
 生物の起源――原始生物の誕生の秘密――に迫る科学者らにとっては、大きな後退を意味しました。

 生物と無生物との間には人知を寄せつけぬ“峻厳な峡谷”が横たわっていることを――
 パストゥールの実験は雄弁に物語りました。

 そんな“峡谷”に――
 20世紀になって、“架け橋”が渡された――

 橋の名は「散逸構造」というらしい――

 ……

 ……

 この時の衝撃は――
 21世紀の今でも、生々しく語られます。

 その要因の一つは――
 散逸構造の理論が――
 例えば、アイザック・ニュートン古典力学アルベルト・アインシュタイン相対性理論、あるいは、ニールス・ボーアらの量子力学といった画期的な科学的知見と比較して――
 ほとんど知られていない――
 ということでしょう。

 ――え? そんなスゴい概念が提唱されていたの? 20世紀のうちに?

 と驚く向きが少なくないのですね。

 僕自身――
 散逸構造の概念を知ったのは、ほんの10年ほど前、大学院で博士の学位を取得した頃でした。

 ハンマーで軽く頭を叩かれたような衝撃を覚えました。

 自分の不勉強を棚に上げ、

 ――もっと早く知っておきたかった!

 と痛感した記憶があります。