と、僕は考えている――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
当たり前ですが――
仮に、恒星の表面や近傍で生命が本当に誕生していたとして――
そして――
それが、たしかに散逸構造の発生であったとして――
なお説明をしなければならないことは――
山ほどあります。
さしあたり――
恒星の表面や近傍の環境は――
今日の人類の知識や理解によれば――
少なくとも、生命にとっては、あまりにも過酷な環境であるから――
仮に、その環境で生命が誕生したとしても――
無事に生きながらえるはずがない――
という疑問に――
答える必要があります。
……
……
この疑問に対し――
僕の答えは――
(そんなもの、わかるわけがない)
です。
(きっと、今の僕らが思いもよらないような自然現象が関与しているんだろう)
くらいの答えです。
つまり――
恒星の表面や近傍で、生命が散逸構造として誕生していたと仮定して――
その散逸構造は――
結局のところ――
今日の人類にとっては、
――思いもよらないような自然現象
に等しいということです――
例えば、
――今日の人類が把握している生命と原理は共通しているけれど、それに従って振るまっている物質や物理量などは全く別物であるような自然現象
というように――
……
……
いかにも、
――地に足が着いていない感じ――
ですね(笑
……
……
当然――
そうなります。
……
……
僕がいいたいのは――
そうした空想まがいの荒唐無稽なアイディアも含めて、
(自然科学である)
ということです。
もちろん――
職業人として自然科学に携わろうと思ったら――
そんなアイディアは、足を引っ張ることしかしませんから――
例えば、公的資金から助成を受けているような自然科学研究では、一顧だにされないのが普通なわけですが――
そういう、
――窮屈な自然科学
だけを、
――自然科学
とみなしていると――
自然科学の発展の本流からは、遠ざかってしまうでしょう。