マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「散る桜、残る桜も散る桜」で考える

 もうすぐ――
 桜の季節ですね。

 この時季――
 必ず一度は口ずさむ句があります。

 ――散る桜、残る桜も散る桜

 江戸後期の僧・良寛の作と伝えられています。

 一説には――
 これが辞世の句であったとか――

 ……

 ……

 良い句です。
 平易な数語で、人命ないし人生の実態を暗に突いている――

 この句が――
 僕は好きです。

 が――

 この句――
 昔は嫌いでした。

「嫌い」というよりは――
 恐かった――

 ……

 ……

 理由は――
 この句が、太平洋戦争(大東亜戦争)後期に、特攻隊で出撃していった青年たちの心情に、なぞらえられることが多かったからです。

 今でも、そうでしょう。

 ……

 ……

 実をいうと――

 僕は――
 この句を知ったとき――
 それが良寛の作であることを把握しませんでした。

 軍歌か流行歌の一節であると誤解しました。

 つまり、「散る桜、残る桜も散る桜」を――
 次のように理解したのですね。

 ――特攻に行く者がいる。きょうは行かなくても、いずれは行くことになる。

 桜の散ることが、青年の特攻に行くことに模されている点に――
 恐さを感じました。

 当たり前ですが――
 桜が散るのは、人の意志ではありません。

 が――
 青年が特攻に行ったのは、人の意志です。

 人知の及ばぬことが人知の及ぶことに置き換えられている――

 それは――
 あたかも、人為の無邪気な礼賛――
 あるいは、天意への不遜な介入――

 ……

 ……

 ――考えすぎだ。

 といわれますが――

 僕は、そうは思いません。

(これくらいは考えたほうがよい)
 と思っています。