マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“見えそうで見えないもの”の美しさ

 見えそうで見えないものが――
 見えないことによって、さらに一層、美しく感じられる――
 ということは――

 たしかに、あります。

 が――

 きのうの『道草日記』で――
 僕は、

 ――“隠して魅せる”は邪道である。

 とも述べました。

 ……

 ……

 これは、どうしたことでしょう。

 一見、矛盾していますね。

 ……

 ……

 が――

 実は――
 かなり際どいところで――

 矛盾はしていません。

 ……

 ……

 たとえ――
 見えそうで見えないものが――
 見えないことによって、さらに一層、美しく感じられたとしても――

 もし――
 隠して魅せることが邪道であるならば――

 その“見えそうで見えないもの”の美しさというのは、

 ――しょせんは、まがい物

 と、みなされることになる――
 ということです。

 ……

 ……

 もし――
 その“見えそうで見えないもの”が真に美しいのなら――
 隠す必要はありません。

 見せて魅せればよい――

 ……

 ……

 簡単なことです。

 ……

 ……

 それが、できない、というのであれば――

 おそらく――
 その“見えそうで見えないもの”は、

 ――「真に美しい」とはいえない。

 ということか――
 少なくとも、

 ――「真に美しい」とは言い切る自信がない。

 ということです。