朝鮮半島の分断を終わらせるのは、並大抵のことではない、ということを――きのうの『道草日記』で縷々述べました。
――並大抵のことではない
ということを百も承知の上で――僕は、やはり1日も早く朝鮮半島の分断は解消されて欲しいと願っております。
というのは――
この分断が解消されない限り、たぶん未来永劫、折り合いをつけることのできない問題が、少なくとも1つはあるからです。
いわゆる、
――歴史認識のズレ
の問題です。
狭義には、いわゆる日韓併合に対する評価のズレでしょうか。
が、広義には、もっと様々なことが含まれます。おとといまでの『道草日記』で繰り返し述べた小中華思想も含まれてよいでしょう。
歴史は主観と主観とのせめぎあいです。唯一客観の歴史など、ありえません。
よって、対韓国や対北朝鮮に限らず、2国間で歴史認識を照合し合うのであれば、それは、
――あくなき議論
です。
――主観と主観とが火花を散らす舌戦
です。
そのような議論ないしは舌戦を清々しく行うには、やはり、朝鮮半島の分断は解消されていることが必要です。
解消されなければ、本当の意味で、議論も舌戦も始まらない――
10代の頃に、朝鮮半島の統一国家のことを小説に書いてみたことがありました。
300年くらい未来の物語として書いてみました。
その際に、日本の外交官と朝鮮半島の統一国家の外交官とが国際会議の休憩中に雑談をする場面を思い描きました。
両者に何を語らせたかは覚えていません――その作品は、いま僕の手元にはありません。
が、あいかわらずの歴史認識のズレを話題にしていたと記憶しております。
例えば――
「あなた方は常に力で押そうとする。力で押す前に、もう少し正邪の道理を考えてみてはどうか」
「何をいっている。『力こそ正しい。力がないから邪になる』と昔からいうではないか」
「誰がそんなことをいった?」
「力のあった者がいっている」
「それは非道だ」
「たしかに、非道だろう。しかし、正邪の道理など、しょせんは虚構に過ぎない。現実の前には何の役にも立たない」
「それは、あなた方の思い込みだ」
「たぶん、そうだろう。しかし、正邪の道理も、たぶん思い込みだ」
そんな対話です。
ちなみに、以上のやりとりは、すべて英語されたことになっていたのですが――これら会話文をきちっと英語に翻訳できそうにもない自分に嫌気がさして――当時の僕は、この小説の完成を諦めました(笑