マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小中華思想が朝鮮半島で生まれた理由を考える

 きのうの続きです。

 ②「韓国は、分断される前は、小中華思想という独特の思想で統べられた国家であった、ということ」について――

 

 小中華思想というのは、簡単にいってしまうと、

 ――朝鮮半島の人たちは、中国大陸の人たちを除けば、他の地域の人たちよりも優れている。

 という考えのことです。

 こんなことを正面から主張されれば、誰だって良い気持ちには――中国大陸の人たちを除けば――なりません。

 ハッキリいえば、腹立たしい――

 が、こうした思想が、なぜ朝鮮半島で生まれたのかということを考えると、腹立たしさも薄れます。

 つまり、小中華思想朝鮮半島で生まれた理由を考える――ということです。

 

 その理由は、なぜ中華思想が中国大陸で生まれたのかを考えれば、わかります。

 小中華思想中華思想に依存した思想であるからです。

 

 中華思想の起源は、古代中国の春秋時代の頃(2500~2800年ほど前)まで遡れるといいます。

 この頃の中国大陸の人たちは、自分たちの文化・文明は他の地域の文化・文明よりも明らかに優れているので、これを守り通し、後世へ伝える価値がある、と考え始めたようです。

 なぜ、そのように考えたかというと、おそらくは皆で一致団結をするためです。

 自分たちの文化・文明が最も優れていると考えることで、中国大陸の人たちが互いに力を合わせ、他の地域からの侵略に打ち勝つことができる、と考えた――

 裏を返すと、そのように考えなければ、皆で一致団結をすることが難しかった――

 つまり、中華思想というのは、提唱当初は、自存自衛の方便――現代風にいえば「安全保障上の思想的手段」――ではなかったかと、想像できるのです。

 もちろん、その“思想的手段”は、時代が下るにつれて、自尊自大の体現――現代風にいえば「自己同一性の手段的思想」――に様変わりしていき、やがて、他の地域に人たちにとっては、

 ――鼻持ちならない思想

 となっていくわけですが――

 提唱当初は、そうでもなかった――郷土防衛のための実用的な思想であった――

 そう思います。

 

 以下、あえて乱暴な議論をするならば――

 朝鮮半島の人たちにとっての小中華思想も、提唱当初は、中華思想と同様であったでしょう。

 

 朝鮮半島は中国大陸と陸続きです。

 中国大陸から受ける軍事的な圧力は生半可の程度ではなかった――

 そうした圧力に抗し、何とか独立を保つには、中華思想を都合よく取り込んで、それに依存する必要があった――

 

 例えば、日本列島の人々は、中華思想を真っ向から否定し、

 ――日本列島の人たちも中国大陸の人たちと同じくらいに優れている。

 と明言をし、対等な関係を目指しました。

 聖徳太子が中国・隋の皇帝に差し出したとされる有名な国書、

 ――日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。

 は、その象徴です。

 が、こんなことができたのは、日本列島が朝鮮半島対馬海峡を経て中国大陸から十分に離れていたからです。

 朝鮮半島では、到底できなかった――やっていれば、軍事的に完膚なきまでに叩き潰されていたでしょう。

 小中華思想は、中国大陸からの軍事的な圧力に抗し、何とか独立を保つには、まことに絶妙な思想であったといえます。

 ――朝鮮半島の人たちも生き残るのに必死だったんだな。

 と思えば、さほど小中華思想に目くじらを立てなくても済むでしょう。