韓国との関係を考える上で、どうしても影響を受けないわけにはいかないことの1つに、
――個人的なつながりの有無
があるでしょう。
個人的につながりのある韓国人が――あるいは、韓国人の友人・知人などが――1人でもいるかいないかによって、話は大きく変わってくると思います。
僕個人の話をすれば――
個人的につながりのある韓国人というのは、皆無に等しいのです。
そんななかでも、韓国との関係を考える際に、決まって想起されることが、いくつかあります。
中学のとき、毎年のように韓国を訪れていた友人がいました。
なぜ毎年のように韓国を訪れていたのか――その理由は、きかなかったのか、あるいは、きいていても忘れてしまったかで、今となっては全然わからないのですが――
その友人が韓国から帰ってくると、その都度、主に兵役義務のことに絡んで、
――韓国の人は、かなりスゴい。
とか、
――韓国の人は、なんかヘンだ。
とか、いろいろと具体的で細かなエピソードを話してくれました。
当時の僕は、今のように朝鮮半島情勢のことをわかっていませんでしたし、当然ながら、その歴史的経緯についてもほとんど知らないに等しかったので、その友人の話に、あまり興味をもてませんでした。
今なら、かなり興味深くきけたことでしょう。
ただし、その友人が、自分より一回り年上の韓国の知人のことを「なんかヘンだ」と訝り怪しみつつも「かなりスゴい」と素直に敬っていたことは、今でも鮮烈に覚えています。
それから10年くらいが経って――大学院に進んだ頃、ある国際学会に参加したときに、韓国の大学院生と当該の学術のことで少し話をしたことがあります。
その後、互いの国内の大学院事情について情報を交換し、最後に、互いの連絡先――電子メールのアドレス――を交換しました。
その韓国の大学院生は男性で、兵役義務を終えたばかりでした。
――つらかった。もう二度とやりたくない。
と笑顔で語ってくれました。微笑のような苦笑でした。
僕は国際学会に慣れていませんでした。その韓国の大学院生も、たぶん慣れていませんでした。だからなのか、交換した連絡先が大変に貴重なことのように思えました。
その後、何回かメールのやりとりをしました。
――もう一度、会って話がしたい。
と、僕は書きましたし、先方も、
――私も、もう一度、会いたい。
と書きました。
が、その後きょうまで会っていません。
会っていませんが――その韓国の大学院生と国際学会の場で出会ったときの親近感は、その後も長らく心に残っています。
同じアジア人系の顔立ちということだけで、それなりに親近感をいとも簡単にもてるということが、妙に強く実感されました。
さらに、それから3年くらいが経った頃に――ある国内学会の会合で、生理学関連の国際合同研究の調整役を務めていた大学教授が、韓国の研究の状況について、次のように述べていました。
――研究の現場には熱気があって、それは大変に結構なのですが、研究の実務となると、「まだまだ、これから……」という感じです。私が大学院生だった頃、アメリカの研究者たちは日本の研究の実務をこんなふうにみていたのではないかと想像します。
その大学教授は当時50代でしたの。
よって、「大学院生だった頃」というのは、「30年ほど前」であったはずです。
韓国との関係を僕が考えるとき――
以上のような個人的なつながりの断片的エピソードが、必ずといってよいほどに、脳裏をよぎります。
良いか悪いかは別にして、そうした個人的なつながりの量の多少や質の高低が、韓国との関係を考える上で、重大な影響を及ぼすことは、誰にとっても否定しえない事実でしょう。