マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人文科学に“誤読の自由”はない

 ――人文科学者は一対一の対話を得意とする。

 といった主旨のことを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一対一の対話で最も大切なことは、

 ――相手の発言に対し、的確に応える。

 ということです。

 相手の発言の真意を掴み、その真意を踏まえた上で、応える――

 

 必ずしも正面から応える必要はありません――少し斜に構えて応えてもよい――

 

 また――

 あくまで「応える」であって、「答える」ではありません――ときには、無言で応えてもよい――

 

 一方――最も禁忌のことは、

 ――相手の発言に対し、的確に応えない。

 ということです。

 相手の発言の真意を掴み損ねる――あるいは、掴んではいるけれど、それをあえて踏まえず、無視をする――

 

 著作を人文科学的に読む際には――

 著者の真意――文脈に即した文意――を正しく掴むことが前提となります――著者の真意を外していたら、その営みは、もう人文科学ではありえない――

 

 ときに、

 ――誤読の自由

 といったことを主張する向きがあります。

 著作を、著者の視点とは異なる視点で読んでいく、あるいは、著者が想定していないと思われる視点で読んでいく――そういう自由が読者には保証されている――そういう主張です。

 

 “誤読の自由”は、遊びで著作を読む場合は構いません。

 

 が――

 人文科学に“誤読の自由”はありません――著作を人文科学的に読むのであれば、そこに遊びの入り込む余地はありません。