人文科学の本質は、
――過程の「なぜ?」
にある、ということを――きのうの『道草日記』で述べました。
これは、人文科学の領域では、
――なぜ?
――なぜ?
――なぜ?
と訊き遡(さかのぼ)っていくことで、真理に近づけるからです。
例えば、
――人に強い。
とか、
――人に強くなる。
とかいったいい方の真意を、
――なぜ?
――なぜ?
――なぜ?
と訊き遡っていくことで、「人に強い」という状態や「人に強くなる」という変化の実態に迫ることができる――
例えば、きのうの『道草日記』で触れた佐藤優さんのご著書『人に強くなる極意』でいえば――
佐藤優さんが考える「人に強い人」や「人に強い状態」がどういう人であり、どういう状態であるかを把握したら、次に、なぜ、そういえるのかを深く掘り下げていく――つまりは、佐藤優さんのご著書を詳細に読解していく――
そうすることで、「人に強い」とか「人に強くなる」とかの実態が、より明快にわかってくる――
そういうことです。
なぜ、こういうことが可能なのかというと――
それは、人文科学が、人の営みに直に関わる事物を対象としているからです。
人の営みには、その営みを行っている人の考えや気持ちというものが、常に介在しています。
その考えや気持ちの中に、その営みの本質が隠れている――そして、その考えや気持ちは、
――なぜ?
――なぜ?
――なぜ?
と訊き遡っていくことで、明らかになることが多い――
こういうことは、自然科学では――人の営みに直に関わっているわけではない事物を対象とする自然科学では――まず、不可能なことです。