マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「虚構」の定義

 虚構は――
 一般には、

 ――人々を楽しませるためにある。

 と考えられています。

 物語の虚構――小説や映画、マンガ、TVドラマ、ゲームなどの虚構――を思い浮かべれば――
 わかりやすいでしょう。

 が――
 実際は違います。

 実際は「人々を楽しませるためにある」ではなく、

 ――人々を幸せにするためにある。

 です。

 もちろん――
 楽しませるということは、幸せにするということでもありますから――
 一般的な理解――つまり、

 ――虚構は人々を楽しませるため――

 との理解でも――
 とくに問題はないのですが――

 物語だけが虚構なのではありません。

 例えば――
 きのうまでの『道草日記』で述べたように、

 ――国家

 や、

 ――金銭

 なども――
 虚構なのです。

 ……

 ……

 こう述べると、

 ――「虚構」の定義は何か。

 との問題意識が浮かびます。

 現時点での僕の定義は、

 ――人が存在しなくなれば、存在しえなくなる事物

 です。

 ――そんな定義では、ほとんどの事物が虚構となってしまうではないか!

 と批判される向きもあるかと思います。

 たしかに――
 “人が存在しなくなれば、存在しえなくなる事物”というのは――
 人文科学的ないし社会科学的にみれば――
 非常に多く存在するのですが――

 自然科学的にみれば――
 そんなに多くありません。