マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

現実と虚構との区別

 現実と虚構と――

 その区別は――
 一見、簡単なようで、実際には困難です。

 外界の事物を感知し、認知し、認識するくらいまでは――
 まあ、何とか「現実」と呼んでよいでしょうが――

 その「現実」を解釈し始めてしまえば――

 それは――
 もはや「虚構」になっているといってよいでしょう。

 きのうの『道草日記』で、

 ――「虚構」とは、「人が存在しなくなれば、存在しえなくなる事物」のことである。

 といったのは――
 外界の事物を感知し、認知し、認識するくらいまでは、

 ――人でなくても、まあ、できそうである。

 という推測に基づいています。

 この場合の「人でない」は、「生物種としてのヒトでない」という意味で――
 主に現時点での人工知能のような主体を想定していますが――
 ヒト以外の他の生物種を想定しても、よいでしょう。

 では――

 感知・認知・認識と解釈との違いは何か――

 ……

 ……

 端的にいえば、

 ――言葉

 です。

 ――ヒトの自然言語

 ですね。

 ……

 ……

 あえて自然言語を用いなくても――

 感知・認知・認識なら――
 何とか成り立ちそうですが――

 解釈は――
 どうにも成り立ちそうにない――

 つまり――

 ……

 ……

 自然言語によって作り上げられる事物――あるいは、自然言語によって表されたり、決められたりする事物――
 それが、

 ――虚構

 です。

 裏を返すと――

 自然言語の枠組を越えたところに存在している事物――あるいは、自然言語が直接的には関われない事物――
 それが、

 ――現実

 です。