――“男性が女性に感じとる「粋」” は危うく張りつめている。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
この緊張感の由来は――
きのうの『道草日記』で述べたように――
男性の感性と女性の理性との鬩(せめ)ぎ合いです。
主体となる男性は、客体となる女性の色気をいかに察知するか――
客体となる女性は、主体となる男性の嗜みをいかに体現するか――
客体となる女性は、自身の色気がどんなふうに醸成されているかが、わかりません。
自身の女性としての色気が男性にどのように察知されるか、女性には、基本的にはわかりようがないからです。
主体となる男性は、自身の嗜みがどんなふうに喝破されているかに、気づきません。
自分が好ましく思う色気の嗜み方が意図的に実践されていることに気づいたら、ただの「媚び」になるからです。
“男性が女性に感じとる「粋」” では――
客体の女性の理性と主体の男性の感性と――
そのどちらにも不知の要素が大きいからこそ――つまり、「わからない」や「気づかない」の要素が少なからず残るからこそ――緊張感が漲(みなぎ)ると考えられます。
“男性が女性に感じとる「粋」” というのは、主体の男性にとっては、手のひらの上で愛でるような気安さがなく、また、客体の女性にとっては、頭の中で造りあげるような手堅さがないのです。