「女性」という言葉について、
女性 = √女 × √人
という数式のような関係が成り立つのではないか、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
数学に親しんだ方なら、すぐにおわかりのように、
女性 = √女 × √人
という関係は、
――「女性」とは「女」と「人」との相乗平均である。
ということを示しています。
これは、
――「女性」という概念を考える上では、「女」という概念と「人」という概念とを足し合わせるのではなく、掛け合わせるのがよい。
の見解から派生している、といえます。
相乗平均は、日常的に用いられている普通の平均――相加平均――とは異なり、互いに掛け合わせることが多い値について平均を求める際に用いられます。
「女」と「人」とは――きのうの『道草日記』で述べたように――やはり、掛け合わせるのがよいのです。
足し合わせたところで、大した意味を見出せばかりか、「女」から独立した「女性」が成り立ちうることになってしまうからです。
ところで――
以上のような理屈――疑似数学的な言葉遊びの理屈――とは別に、
――女性
という言葉を他の言葉で置き換えるとしたら、すぐに思いつく言葉があります。
――女の人
です。
きのうの『道草日記』で述べたように、
女性 = 子から人に成った女
です。
よって、
女性 = 女の人
と記したところで、ほとんど違和感はない――
これを踏まえると、
女性 = √女 × √人
は、
女の人= √女 × √人
となって、
(う~む。この数式にこそ、連体修飾語を作る格助詞の「の」の本質が隠されていたか!)
などとバカなことをつい思い込みたくなるのですが――
ここまでくると――
さすがに、
――言葉遊びが過ぎる。
といえましょう。
「女性」「女」「人」の3語の関係性について何か意味のあることを指摘するとすれば、
――「女」という概念から独立をしている「女性」など、ありえない。
および、
――「人」という概念から独立をしている「女性」など、ありえない。
の2点に尽きます。
そして――
そのことは、実は、
女性 = 女の人
という図式だけで十分に指摘できるのです。