意識には、
――意識混濁
や、
――意識狭縮
などの変化から直に推測されうる性質として、
――清明性
や、
――可及性
がある、ということを――
3日前の『道草日記』で述べました。
そして、実際には、もう1つ着目をされる意識の変化があることも述べました。
――意識変容
です。
「意識混濁」が、だんだんボンヤリしてくることであり、「意識狭縮」が、ごく近くのことしかわからなくなることであるのに対し、「意識変容」は、寝ぼけたようになることです。
例えば、自宅の居間のソファで転寝(うたたね)をしているときに、向こうのほうで職場の同僚たちが何やら気になる話をしているので、必死に呼びかけようとするが、声が出ない――あるいは、声は出るのだが、同僚たちは一向に返事をしてくれない――そのようなことを指します。
このような場合は、実は“意識変容”だけではなく、“意識混濁”や“意識狭縮”も、少なからず起こってはいるのですが、“意識混濁”や“意識狭縮”だけでは、この“寝ぼけ”の体験を説明することができません。
“意識混濁”や“意識狭縮”では説明できない変化――それが、“意識変容”です。
では――
この「意識変容」は、どのように説明されうるのか――
それを説明することは、まったく簡単ではないのですが――
もし、例の意識に関する“舞台の照明”の比喩を用いて説明するなら――
次のようになります。
――照明の当て方が乱れたり、的外れになったりしている。
舞台の照明が、本来、当たるべきところに当たらず、そのために舞台の上で催されていることの全容が正しく観客に伝わらない――むしろ、誤って伝わってしまう――
それが「意識変容」である、と――
解釈されています。
この“意識変容”という意識の変化から直に推測されうる性質として、意識には、
――均質性
があると考えられます。
再び“舞台の照明”の比喩を用いれば、
――“照明”が常に同じように“舞台”の要所を照らしていて、その照らし方が急に変わったり途切れたりすることはない、という性質
となります。