意識に関する“舞台の照明”の比喩は、
――光
が本質であるがゆえに――
例えば――
目がみえる人たちの意識について当てはまることのみを導いてしまいがちである――
という弱点を抱えている、と――
10日前の『道草日記』で述べました。
よって――
もし、意識のことを真剣に考えるのなら――
“舞台の照明”の比喩から、いずれは離れるしかないのです。
4日前の『道草日記』で触れた、
――「意識の働き」とは、“現在の感覚”が“過去の感覚”と絶え間なく照らし合わされて何らかの相関性が見出され続けることである。
という命題は――
意識を考える際に“舞台の照明”の比喩から離れることを、十分に手助けしてくれます。
この命題のもとでは、「感覚」は、とくに視覚には限定されません。
よって、生まれつき目がみえない人たちの意識も十分に扱うことができるのです。
例えば――
視覚に基づかない意識――主に聴覚に基づく意識――
すなわち、“現在の聴覚”が“過去の聴覚”と絶え間なく照らし合わされて何らかの相関性が見出され続けることで生じる意識――
というものを考えることができます。
裏を返すと――
意識に関する“舞台の照明”の比喩は――
主に視覚に基づく意識――
すなわち、“現在の視覚”が“過去の視覚”と絶え間なく照らし合わされて何らかの相関性が見出される続けることで生じる意識――
を具現化したものであろう――
という予測が成り立ちます。