マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

意識に関する“舞台の照明”の比喩の弱点

 ――意識の性質は、舞台の照明の機能に似ている。

 ということを――

 6日前の『道草日記』から繰り返し述べています。

 

 このことに絡めて――

 意識には、少なくとも3つの性質がある――

 すなわち、

 ――清明

 ――広範性

 ――均質性

 の少なくとも3つの性質がある、と――

 述べてきたわけです。

 

 これら3つの性質は――

 よく考えたら、当たり前なのですが、

 ――意識が及ぶ様子は、光が射(さ)す様子に似ている。

 とみなすことからも導けます。

 

 つまり――

 意識に関する“舞台の照明”の比喩は、

 ――光

 が本質です。

 

 心の中の意識の作用が――

 自然界における光の物理現象に喩えられているのですね。

 

 ――意識を光に絡めて理解する。

 あるいは、

 ――意識を光に結びつける。

 というのが――

 “舞台の照明”の比喩の試みの本態なのです。

 

 この発想が、はたして妥当であるかどうかは――

 なかなかに判じ難いといえます。

 

 意識を光に結びつけることで――

 意識が含む重要な要素を何か見落としてしまう危険性があるのではないか――

 

 例えば――

 生まれつき目がみえない人たちの意識を光と絡めることは妥当なのでしょうか。

 

 ――目がみえる。

 とは、

 ――光が目で感じられる。

 という意味と、ほぼ同じです。

 

 目がみえない人たちも、何らかのかたちで光を感じていると考えられています。

 が、目がみえる人たちと同じように光を感じているとは、ちょっと思えません。

 

 つまり――

 目がみえない人たちの意識をも“舞台の照明”の比喩に落とし込むのは、

 ――おそらくは、適切ではない。

 と、いえそうです。

 

 ということは――

 “舞台の照明”の比喩を用いて意識のことを考えようとすると、特定の人たちの意識――目がみえる人たちの意識――に偏った結論を得てしまいがちとなる――

 といえます。

 

 そのような弱点を――

 意識に関する“舞台の照明”の比喩は、抱えています。