日本語で考えるならば、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
ではなく、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
と記すほうがよいのではないか、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
すぐにわかることは、
――世界
と、
――世
との違いです。
「身体」と「身」と、「精神」と「心」と、「自我」と「我」とは、それほど意味は違いませんが――
「世界」と「世」とは、違った意味で用いられることがあります。
もちろん、ほぼ同じ意味として扱われることもありますが――
どちらかというと、「世」は「世界」に関する時間的な様相ないしは要素を色濃く反映した言葉です。
一方、「界」は「世界」に関する空間的な様相ないしは要素を色濃く反映しているといえます。
つまり、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
は、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
の時間的な様相ないしは要素を抽出してきている――あるいは、少なくとも、時間的な様相ないしは要素を強調している――といえそうです。
ということは――
“時間のクオリア(qualia)”を考えるのであれば、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
より、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
のほうが優れていると、いえるかもしれません。
控えめにいっても、
――大きな違いはない。
となります。