世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
という環をみていると、色々なことに気づく――
ということを、おとといの『道草日記』で述べました。
……
……
この環をみていると、
(なんだか西洋的だなぁ)
と感じます。
少なくとも、僕はそうです。
――世界
とか、
――身体
とか、
――精神
とか、
――自我
とかいった言葉を用いる限り――
いかにも西洋の文化圏から輸入されてきた発想であると感じます。
ところが――
「世界」の代わりに、
――世
を――
「身体」の代わりに、
――身
を――
「精神」の代わりに、
――心
を――
「自我」の代わりに、
――我
を用いると――
何だか東洋的な感じがしてくるのですね。
つまり、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
です。
もちろん――
意味するところは、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
と何ら変わらないはずですが――
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
と記すと東洋的になり、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
と記すと西洋的になるように思います。
実際には――
「東洋的」「西洋的」という言葉が適切なのではなく――
「洋風」「和風」という言葉が適切なのでしょう。
厳密には、
――和文的
か、
――欧文的
かの違いです。
よって、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
という環について――
これをしっかりと日本語で考えようとするならば、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
と記し直しておくほうがよい――
といえるかもしれません。
考えるという営みは、あくまでも言語が基盤です。
日本語で考えるならば、
世界 ・ 身体 ・
・ 自我 ・ 精神
より、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
のほうが――
少なくとも直感ないし直観に訴える部分は大きくなるに違いありません。