マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「身」と「心」とが用いられている和歌

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 という環をみて――

 僕が、

 

  この世をば

  我が世とぞ思ふ

  望月の

  欠けたることも

  無しと思へば

 

 の和歌を思い浮かべたのは――

 おとといの『道草日記』で述べたように――

 「世」と「我」との2字が用いられているからです。

 

 一方、

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 の環にある残りの2つの文字――「身」と「心」と――が用いられている和歌もあります。

 平安中期――藤原道長が「この世をば……」を詠んだのと同じ時代――に詠まれた和歌です。

 

  数ならで

  心に身をば

  まかせねど

  身にしたがふは

  心なりけり

 

 詠み手は紫式部と伝えられています。

 世界最古の物語小説『源氏物語』の作者として有名な女性ですね。

 

 この和歌を――

 僕は、次のような現代語に訳したいと思います。

 

 ――とるに足らないので、心に身を任せるようなことはしないけれども、身に従うのが心であることだ。

 

 もう少し踏み込んで解釈すれば、

 ――心に身を任せたいと思うことがないわけではないけれども、実際には、心は身に従ってしまうのだ。

 といった感じになりましょうか。

 

 この和歌は、紫式部が夫に先立たれたときに詠んだものとされています。

 

 ここで用いられている「身」は、必ずしも「身体」という意味だけではなく、「身分」とか「境遇」とかいった意味も含むようです。

 夫に先立たれた当初は悲痛に苛まれていたが、しだいに、その状況に慣れ、それを受け入れていく心情を詠んでいると考えられています。

 

 「身」から「心」を切り離そうと試みつつ、実際には容易には切り離せない現実を詠み込んでいる点は、驚くほど現代的――あるいは、西洋的――あるいは、普遍的――といってよいでしょう。

 世界最古の物語小説を残せた理由も、よくわかるような気がします。