平安中期に詠まれたとされる2つの和歌――
藤原道長の、
この世をば
我が世とぞ思ふ
望月の
欠けたることも
無しと思へば
と――
紫式部の、
数ならで
心に身をば
まかせねど
身にしたがふは
心なりけり
とについて――
17日以降、『道草日記』で繰り返し述べています。
それは、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
という環について日本語で考える上で――
それなりに参考になる、と――
僕が考えたからです。
すぐにおわかりのように――
藤原道長の和歌には、「世」と「我」との2字が詠み込まれ――
紫式部の和歌には、「身」と「心」との2字が詠みこまれています。
つまり――
藤原道長の和歌は、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
の環の左半分を――
紫式部の和歌は、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
の環の右半分を――
それぞれ詠んでいるように思えます。
が――
実際には、これら2首によって残りの半分が無視されているわけでは決してなく――
藤原道長の和歌ではいえば――
“望月”をみているのは“身”が備えている目であり、「欠けたることも無し」で暗示されているのは満足している“心”の状態であり――
紫式部の和歌でいえば――
「心に身をばまかせねど」と決めているのは“我”であり、「数ならで」と評価されているのは“世”における他者との関係性であるのです。
どちらの和歌も、結局は、環の半分とではなく、環の全体と関わっている――
つまり、
世 ・ 身 ・
・ 我 ・ 心
は、本来、環を成すべくして成していて――
その環を解(ほど)くことや断つことは決してできない――少なくとも、なかなかできそうにもない――
ということです。
が――
そこをあえて――
藤原道長は「我」と「心」との間で環を切ったと考えられ――
紫式部は「我」と「世」との間で環を切ったと考えられます。
つまり――
藤原道長は、“我”の“世”における絶対的権力者としての“身”を自覚し、その自覚から「足るを知る」の洞察を得て、なおも貪欲であろうとする“心”を鎮めようとしたのではないか――
また――
紫式部は、“我”の“心”が“身”から完全に自由になることはないと認めることで、その“身”が置かれた不遇の状況を経て、“世”の現実と向き合う覚悟を決めようとしたのではないか――
そう思うのです。