マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その環の「世」「身」「心」「我」に修飾語をつけるとしたら

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 という環を眺めていると――

 色々なことを感じ、考えます。

 

 日本語では――おそらくは中国語でもそうですが――基本的ないし原理的な概念は、漢字1字で表される傾向にあります。

 それゆえに、「世」「身」「心」「我」と漢字1字で記しています。

 

 が――

 これら4つの字に、あえて修飾語をつけるとしたら――

 どうでしょうか。

 

 すぐにわかることは――

 

 「身」には「我が」がついて、

 ――我が身

 となり――

 「心」にも「我が」がついて、

 ――我が心

 となる――

 ということです。

 

 おとといの『道草日記』で触れた西行の和歌には、

 ――我が身

 が詠み込まれていましたね。

 

 おとといは、うるさく述べませんでしたが――

 この「我が身」の「我が」は、

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 の環の「我」とは別の概念です。

 むしろ、この環の「身」と同じなのです。

 つまり、

 ――身

 といえば、ふつうは、

 ――我が身

 を指します。

 

 一方、 

 ――心

 についても、似たようなことがいえます。

 

 「身」ほどではありませんが――

 ふつう、

 ――心

 といえば、

 ――我が心

 を指します。

 人の心は、結局は、よくわからないからです。

 

 では――

 「世」は、どうでしょうか。

 

 「世」に修飾語をつけるとしたら、何がよいでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 たぶん、「人の」がよいでしょう。

 

 つまり――

 「世」に「人の」がついて、

 ――人の世

 です。

  

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 の環の「世」とは、

 ――人の世

 に同じであり――

 この概念の中に、例えば、

 ――人の身

 や、

 ――人の心

 が含まれます。

 

 先ほど、

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 の環の「身」や「心」は、それぞれ「我が身」「我が心」である、と述べたのは――

 そうしたことによります。

 

 では――

 「我」は、どうか――

 

 ……

 

 ……

 

 これは難問です。

 

 あすまでに――

 ちょっと考えてみます。