マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原道長と紫式部との違いが端を発しているところ

 

  世 ・ 身 ・

  ・ 我 ・ 心

 

 という環について――

 藤原道長は、

  

  この世をば

  我が世とぞ思ふ

  望月の

  欠けたることも

  無しと思へば

 

 の和歌によって、「我」と「心」との間を切り離し――

 紫式部は、

 

  数ならで

  心に身をば

  まかせねど

  身にしたがふは

  心なりけり

 

 の和歌によって、「我」と「世」との間を切り離した――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり――

 藤原道長は、「我」と「世」との繋がりを残し――

 紫式部は、「我」と「心」との繋がりを残した――

 ということです。

 

 この違いは――

 どこに端を発しているのか――

 

 ……

 

 ……

 

 おそらくは、

 ――我

 を日頃どれくらい強く意識していたかの違いでしょう。

 

 つまり――

 藤原道長は“我”を強く意識し、紫式部は“我”をそれほど強くは意識していなかった――

 ということです。

 

 藤原道長が当時の貴族社会で頂点を極めた男性であり――

 紫式部は、藤原道長の娘に仕えた女性であることを思えば――

 当たり前のことかもしれません。

 

 が――

 

 決して忘れてはならないことは――

 紫式部の“我”は、決して藤原道長の“我”にもひけをとらないくらいに十分に強く、大きく、豊かであったに違いない――

 ということです。

 

 何といっても、世界最古の物語小説を書き残した人物です。

 その物語には普遍性があり、1000年後の現代にまで読みつがれ、しかも、外国語に翻訳さえされています。

 そのような物語を紡ぎえた人物の“我”が、弱く、小さく、貧しかったはずはありません。

 

 問題なのは、“我”の様態ではないのです。

 “我”を強く意識しているか否かです。

 

 “我”を強く意識している者は――

 藤原道長がそうであったように、「我」と「世」との繋がりを重くみて、「我」と「心」との間を切り離し――

 

 “我”を強く意識していない者は――

 紫式部がそうであったように、「我」と「心」との繋がりを重くみて、「我」と「世」との間を切り離す――

 

 そういうことではないかと思うのです。